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カンブルラン指揮読響定期演奏会(4月15日 東京芸術劇場コンサートホール)

素晴らしいプログラミングと演奏の一夜だった。

メシアン「忘れられた捧げもの」は、1月に演奏された最晩年の「彼方の閃光」の対極に位置する初期22歳の時の佳作。中間部の激する音楽は、やや中途半端な趣ながら、第一部と第三部では弦楽器の独特なハーモニーによる息の長い旋律が印象的。このトーンは確かにメシアンの個性。カンブルラン・読響は透明感ある充実した響きで、素晴らしい。ドヴュッシー「聖セバスティアンの殉教(交響的断章)」は、とてもカラフルな演奏。まさにフランス音楽の醍醐味を味わえた。演奏機会が多くはないであろうこの曲が実に魅力的に楽しめました。冒頭にファンファーレが付け加えられたが、これは効果的。弟一曲の木管群の響きからして魅惑的。弦はあくまで柔らかく、ホルン6本の分厚い響き、ハープ、そしてトランペットの彩りもよい。強奏になっても決して音が濁らない明晰さはカンブルランの手腕かしら。最後の第四曲はミステリアスな雰囲気で、後半の「青ひげ公の城」にそのまま繋げてもよいように感じた。いずれにしても、素晴らしいドヴュッシーだった!

バルトーク「青ひげ公の城」は、これまた、文句のない見事な出来映え。この曲は生演奏で聴いてこそ、細部のオーケストレーションに魅了されるはず。「第一の扉」を開けた時のヴァイオリンの高音域のトレモロの強烈さ。「第三の扉」でのチェレスタとハープは耳に残る。そして「第四の扉」の木管群・ハープ・ホルンらの絶妙なハーモニー、「第五の扉」の開放感と高揚(ここは、R・シュトラウスの某有名曲を思い起こさせるはず!)、「第六の扉」の不気味な「涙の動機」がもたらす不安感、最後の「最後の鍵を渡してくれ」と懇願するユディットの切迫感と緊張は、イリス・フェルミリオン(インバル指揮都響マーラーで多々登場の、メゾソプラノ)のドラマチックな歌唱によって、より感動的なものになった。カンブルラン・読響は実に繊細であり、勇壮。この作品の魅力をあますとこなく演奏し切った。ブラヴォーです。

「青ひげ公の城」、一時間ほどの演奏時間もほどよく、強烈な不協和音に満たされることもなく多分にロマンチックな音楽は、大多数の聴衆には聴き易いものとして愛され、これからもコンサートでとりあげられ続けることでしょうね。ただ、この作品はバルトーク30歳の時に完成されたもの。今聴いても確かに「聴きごたえ」が充分にある作品に相違はないけれど、後年の彼の音楽の魅力的な個性を知ってしまった者にとっては、正直、音楽表現に「物足りなさ」の想いはどうしても残る、というもの。ワーグナーからR・シュトラウス、そして一方ドヴュッシーら色彩豊かなフランス音楽の影響は、この作品では歴然。当然ながら、まだ、バルトーク独自の音楽にまではなりきっていない。彼の音楽の魅力である、土着性・民族性を背景にした「強烈なリズム」・「独特なハーモニー」・「クールな抒情」といった特徴は(その萌芽はこの作品の中に垣間見れるものの)まだまだ充分には聴き取れない。この作品は、30歳時点でのバルトークの集大成として聴くべき音楽だな。彼が、もし晩年に「青ひげ公の城」を作曲していたら、もっともっと強烈・個性的な音楽になっていたかもしれ\xA4

覆い里法△箸盪廚Α◀擦鵑覆い海箸世韻鼻幣弌法\xA3

さあ、次回のカンブルラン・読響は11月にメシアンアッシジの聖フランチェスコ」全曲日本初演という快挙に臨む。私にとって、今年最大のイヴェントなるのは間違いないことです(笑)。